NO.3 牛追い祭りの町パンプローナ



7月6日

 朝起きてアルベルゲを出ると村のおじさんがカードみたいなもんを配っていた、 聞いてみると今日から1週間ぐらいはパンプローナで牛追い祭りがひらかれるのでアルベルゲは泊まれないとの事、つーわけでパンプより4キロ先の町シスール・メノールに向かう事になりそうだ 出発!

 パンプローナは初めての大きな町だ パンプまでここから数キロだったから意外と速く着いた、足の痛みとともに町に入る

 今日が牛追い祭り前日であったために 町の人は全員白のズボン白のシャツで赤いスカーフを腰に巻き老若男女問わず同じかっこうで町の中心地で飲んで騒いでる 人の流れを追うように歩いていたらテレビで見た事のある場所に出た人が大勢で盛り上がりまくっている。

↑パンプローナ祭り前日

 これから1週間ぐらいはこんな感じなのだろうな、特に今日は前夜祭みんな酒飲んでる、男の酔払いは高さのある噴水に上りパンツをおろし見せびらかしたり、ねーちゃんも胸を出したりしてる、聞いた話だとかなり酔った人は4階から飛び降りたりしたらしい もちろんその後はCPRを受けながら病院行きだったそうだ! 

 まぁとりあえず人が多すぎてカミーノの正規の道であっても歩けなく進めない状態になった  汗とワインとションベンの混じった臭気、汗ばんだ親父の腕とおれの腕が擦れ合っても避ける事さえできない、自分の汗だか他人の汗だか分らない状態になった、でもゴリ押しで何とか通り抜けメイン道りからも出れた

 しかしまだまだ周囲の街やら村から次々と人が集まってくる  交差点で信号待ちをしてると向こう側から20人ぐらいの白に赤いスカーフの参加者がやって来た、すれ違う人の中 同い年ぐらいの浮かれた感じのヤツが俺を見てこう言った「オイオイ、今は巡礼より牛追い祭りだろ」って スペイン語だったけど確実にわかった、でもすぐ後に来た落ち着いた感じのおじさんはこう言った 「何も気にせず先に進みなさい」ってスペイン語分かんないけど雰囲気で通じたよ! ありがとうおじさん 俺は俺で行かせてもらうよ! 

 さて休み休みだから4時間パンプローナにいたことになるデカイ町だった 町から出ると 周りが麦畑だけになり、いっそう日差しが強くなった こんな時も麦わら帽子これはマジで涼しい(父親からの進呈) 
  シスール・メノール到着 パトリックとも再会! ここはやっぱりパンプと比べればかなり小さく やっぱり周りは麦畑、 ここのアルベルゲのママがとてもいい人、ママ曰く「私は長い事のこの場所で巡礼者のせわをしてきた だから私は巡礼者すべてのママなのよ」 ママという言葉の意味  ママとは 誰に対しても我が子のように分けへだてなく優しくできるそんな包容力のある素晴らしい女性への尊敬語だ、ここのママに合ってそうおもいました。

 ここアルベルゲでは一泊は5ユーロ、台所にはあらかじめ野菜,チーズ,ハムなどの食料が用意されており使ったら 寄付箱にお金を入れるシステム パト(パトリックの略)はパスタ、俺はオムレツにニンニクを入れたのとパン 旨いよな。  

 そこへピレネーであったハンガリーの親子〔謎の力を操るおやじ〕の息子のほうが現れ再会を喜んだ 彼はそれなりに英語を話すので彼は初料理の時の思い出を語ってくれた「僕は卵を焼きたかったでも、油しくのを忘れた だから卵は燃えたんだ」  かわいい一言! 体は大きい子なのに おっとりした子だ!   談笑してるとママは食堂にいる全員にコーヒーをいれてくれた 美味しかったよ食器を洗おうと思ったがママは皆の分を洗ってくれた 俺は思わず「センキューママ」と言ってお任せしてしまったそして思わずママとツーショット! 顔が2倍あるな俺 笑

やさしい人がいて 優しくされた、だからその優しい人が幸せになるよう俺も願う

7月7日

  朝6時起床目覚ましが無くとも周りが騒がしくなるので自然と起きる。 朝歩き始めたらヨーグという外人と出会う彼の国籍を聞くことはできなかったが 彼は逆に俺にいろいろと質問をしてきたレコーダーを片手に、名前・歳・国籍・目的など、彼は大学生らしく研究材料としてカミーノをとらえてもいるみたいだ 彼はもう2度目のカミーノらしく装備もシンプルだった歩きも軽快だし 俺はまだまだだ、筋肉は慣れてきてるが 関節は歩くたびに激痛だ。

  いちめん麦畑の道がだんだん傾斜をおびてくる、道端で隠れながらクソをしてまた歩く 頂上には風力発電の白いプロペラが何機も回って頑張ってます  そして頂上には巡礼者のモニュメントそこでリバティーとパトと再会!

  この頂上にはキャンピングカーが止まってて、イギリス人オヤジ(たぶん60歳はいってる)が皆にコーヒーやらカップケーキなどをふるまっていた もちろん寄付箱もあり何ユーロか入れた ご丁寧にこれからの下り道のために杖まで用意されていた  このオヤジは前にカミーノを歩いたらしく 今は巡礼者を助けるボランティアをしている 救急箱もあったし! ありがとうオヤジ! 別れの挨拶をして出発! 

 下り道の岩場、皆は両手に杖で慎重に下ってるが 俺はピョンピョンはね降りて行ったその方が俺には楽に感じた でも少しして足が着地した瞬間 膝から 「ミシ!」っという嫌な音が聞こえた 関節の痛みは常にある 筋肉痛も 何か些細な出来事でも 医学的根拠がなくても 痛みは倍に感じてしまうもんだ。   


歩くのって しんどいな

 少ししたらリバティーと再会して日本の面白い文化・習慣の話をしながらプエンテラレイナに到着! 

 アルベルゲでジェライ、アンヘル フェルナンドというスペイン人に会った、明るく気さくでいい奴らだ  このあとリバティーとバルを探しフラフラ歩きバルを発見 だが 巡礼者用メニューはたいがい何処も夜の8時からしかやっておらず 時間まで店の前のテーブルでコーラとビールで乾杯(俺がコーラ)

 そしたらスウェーデンからの二人組ジョシュたち(大学生)と出会い8時まで外で話した、彼らは昨日の夜 同室の巡礼者のいびきがうるさく寝れなかったそうだ さらに寝言で「ノーノーノノ」とNOと言いまくっていてたらしい 夢で何を迫られていたのだろう? 朝起きて会話するととても気さくでいい人だったらしい(笑) アルベルゲはドミトリーだからな いろいろあるよね! 日本から耳栓持ってきててよかった!

 さてこんなで8時飯タイムになり少し高めの11.50ユーロの巡礼者用メニュー カントリーチキンを頼んだ確かに高いだけあり美味しかった 食い終わった後 リバティー ジョシュたちとは別れ一人アルベルゲに戻る、足の痛いなか地図を広げ今までの道を見る 

 まだ全然遠い  遠いよ 足は痛い 歩いてて 遠くを見ると嫌になる 

やめることは可能だが…

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