NO.4 苦悩苦痛で ログローニョ!




7月8日

 6時起床、足は1日寝ても少し痛みが引く程度で、歩けばすぐに痛みだす 今まで1日平均キロ数は25キロ 鼻っぱしらもむず痒い 日焼けをしてしまったようだ 膿んでもきてるし けど歩くそれしかない 

 途中にすごい街に着く 名前はシラウキ  そこは小さな丘の上にあり家々が一番上にある教会を守るように作られていた

 この町に入り商店でプラムとリンゴ、バナナを買い店先でかじり付く、周りには他の巡礼者、おまけに白い犬まで現れた のどかに休息。この街がきれいだったからステイしたかったが止まるには 早すぎる時間だった  次の機会があれば泊まろうと一瞬思ったが、 

 正直 次の機会なんて考えたくもない じゃーなワンちゃん!

 そして何度か小さな山や丘を越え その丘の上から先に広がる平野を見た いい眺め、数キロぐらい先には、今夜ステイする町エステーリアが見えた そしてまだ歩くのに慣れていない疲れた体で さらにその奥 進まなければいけない方角 西に目をやった 

 そこには明日か明後日には越えなくてはいけない山が 横に伸びるように広がってた 疲労困憊してる中  これから更に挑まなくてはならない大きな山を見てしまったとたん愕然とした  まだ160キロしか歩いていない ふつう山のぼるんだったら、 車で麓までブーンと行き登山口から挑むが  この道は そこまで行くのも道であり そこを越えてもからも道なんだ 

 やる事はただ西へ進むだけ 言うは簡単だが、やはりつらい 

 決断への後悔が歩きながら、何度も頭によぎる  

 そんな自分を支えるは自分でヤルと決めた事実だけ、他人に強制されたわけでもなく 自分の意志で決断した事 さらにそれを今実行できている事  

 ということは今あるこの体の苦痛と心の苦悩は 自由と幸福である証と考える。

 体力的には初日のピレネー越えと比べれば楽ではある 悔やんだり 立ち直り元気になったり 困ったもんだね(笑) 

 気がつけばエステーリア 到着だ ここのアルベルゲは、デカイ4階建だった114人も泊まれる 大きいアルベルゲ がにも拘らず到着が遅れたせいか,ちゃんとした部屋ではなく 3階の廊下にベッドが無造作に置いてあり 受付の若いねえちゃんにはここだと言われやむなく廊下に決定。 

 すでにパトとリバティーは着いていて 部屋の中のベッドを確保していた 彼らは基本的に俺より早い彼らとはもう いつ会えるか分からないので早めにメアドの交換をし共に夕飯を食いに向かう 

 アルベルゲの前ではここのスタッフ(元巡礼者)がギター片手にオアシスの[what ever]を歌ってました 大好きな歌 この歌は僕らの歌です、自由をうたう歌 自由で何が悪い! と言ってる 元気になる歌。 俺ら3人はスペイン語がしゃべれないので身振り手振りで レストランに行き 褐色の肌の美人ウエイトレスに巡礼者メニューを頼む、なかなか綺麗なレストランだ 

 バルとは違う ここではメインディッシュも良かったが この後のデザートが凄かった 綺麗な白い皿にのり運ばれてきたのは ただの一個まるごとの青リンゴ それを目の前に置かれ ご丁寧にその両脇にフォークとナイフを置いてくれました   3人で悩みました…  リバティが口を開いた 「どうしろと?」 俺ら3人ピレネー越えの時、仲良く途中でりんご皮ごとかぶりついてたのに! 
 リバティーが「これがスパニッシュスタイルなんだわ」と言ったので 俺らは普段ナイフを使わない相手にナイフで挑んだ…

このあと、カラン、カランと無作法な音が響いた後、みんな手で食べていた…



7月9日

 今日もまだ暗い中 昨日足の裏に貼った湿布の上から靴下を履き、靴を履き、歩き出す  今日は道の途中に蛇口をひねればタダでワインが出てくるところを通る  ワイン工場からの巡礼者への気遣いだ ありがたい 
 5kmぐらい林道を歩いたかな 俺より先に出発していた巡礼者が何人もたまっていた、そこはワイン工場の裏手で 少し装飾された蛇口があった ドバッとは出ないが、ひねればチョロチョロとワインが出る、先に着いてたリバティーは、空きの水筒にたっぷりワインを入れてた 俺は空きの水筒など無いので100円ショップで買った銀色のカップで2杯ほど飲み満足し ワインを造ってる人たちに感謝した。

 酒は得意な方ではないのですぐに意識はフワフワとなり 足の痛みは無くなる が小一時間したら酔いもさめ 足も再び痛くなり 他の巡礼者とも距離が空き 見えなくなってた。

 この状況 足の痛みの中 考えずにはいられなかったのが この道を歩くと決めた理由 テレビでこの巡礼を初めて見た時 直感的に これは俺に必要な経験 と思えた ただの直感  社会的にはもっと具体的な理由を求められるから頑張ってあえて言うと「自分が強く大きくなるんじゃないか!」という思いだ 
 だがそれがチケットも取り終わった出発2日前の夜になると 「800キロだぞ、アホか俺は!?!?] って思ったが、  

 んじゃ俺はどんだけアホなのか、 この無謀な決断がどれだけこのアホを痛めつけるか、これをこの身にしみこませてみようと決意した      

 そして、今カミーノの上で思うのは… 

 痛いです。

 スゴク痛い思いをしてます   足首の関節、つちふまづの筋肉、水膨れ、肩に食い込むバックパック           

 痛い

 ただ痛い

 体に限界がくれば 心も折れそうになる 

 やめるのは簡単だ 車に乗り飛行場に行けばいい 

 けどここで 自分が豊かである証

"自由な意思"の下で決めた事さえ出来ず辞めてしまったら…



 俺は本当にカスになり下がる

  それに自分のアホさを知るのは悪い事ではないと思う 
 最近では自分がアホであることも分からずに 偉そうに人を使い いやな思いをさせたり 最悪殺してしまうような奴もいる この経験はそういう人間にならない為に少しは役に立つのではと!! 

 自問自答し前へ進んでたら 通過予定の村の方からおやじが歩いてきて俺に話しかけてきた「ハポン?ハポン?」言ってきた ハポンとは日本という意味 俺は「スィーハポン」と答えたそしたらオヤジはペンと小さいノートを取り出し俺に見せ何か言ってきたがわからない  
 そのノートを見たら巡礼者の国籍や名前などが書いてあった だから俺も名前と国籍を書いてオヤジに渡した、そしたら喜んで次のターゲットを探しに逆側に歩いて行った 何処にでもいる、名物オヤジだ! 

なんだか会えてうれしいよ!

 今日も日差しが強くしんどかったけど目的の町に到着!名前はロスアルコス アルベルゲは町に二つはあったりもするのだが 疲れた俺は他のアルベルゲを探す余裕もなく一番近いプライベートアルベルゲ(少々高め)に疲れた体でなだれ込んだ プライベートといっても公認されてるのでスタンプもちゃんとある
 英語の達者でふくよかな女性に「ガシャッ」とスタンプを押しおもむろに「あなたびっくりするわよ」と言って2階に向かって「Kyoko!」と大きな声でスタッフ呼んだ、そしたら日本人が現れた この時 母国語を長い事使わずにきた者同士は第一声につまるのです少なくとも俺は「あ」、「う」「日本人?」みたいな感じで言葉が出てこなかった     
 キョウコさんには日本人同士の好もあり 作ったスペイン料理を頂きました牛肉を煮込んだものと黄色いサフランライスみたいなリゾットを食べました久々の米で美味しかった。
彼女いわくスペイン料理は味が濃いそうです確かに牛肉の煮込みは濃かったと思う。
 彼女も巡礼者で今はアルベルゲの手伝いをしているそうです 同じ事を考えるだけあって 少し共通するものを感じた。

 そんな彼女から国際電話のかけ方を教えてもらい自宅にかける 俺ケータイ持ってきてないからねー! すると母が出た今まではEメールだけだったから 声で互いの無事を確認する 無理はするなと言われた  あっという間に1ユーロが減ってゆき無事だと伝えるぐらいで電話を切った 

 俺が恐れている事それは、何の連絡手段も持たない状態で歩く中、父母に何かが起こりそれを知らずに歩き続ける事だ、父母にとってみれば息子が知らない土地をテクテク歩いてる方が心配だろうが、俺は俺で両親が心配だった  そんなわけで電話してみたらまぁ今のところ両親元気だったし、俺は、安心して買い出しに行った

 入り口は狭いが奥行きのある店でパン、野菜、果物、レトルト食品などがそろっていた、俺はリンゴとフランスパンとインスタントパスタを買いそのパスタをアルベルゲのキッチンで作ることにした どこでも便利なものはあるもんで 水を入れるだけってヤツです イイもん見つけたぜ! 味もまあまあイケるし腹が満たされた。
 次はシャワーだ、水しか出ないかもと思ったがさすがプライベートアルベルゲ温かいのが出ます サッパリした後は今日確保したベッドに戻り 足に塗り薬ぬったり 洗濯したり シップ貼ったり、日記書いたり、そして9時には寝袋を広げ就寝   日本人と会ったからなんか なごめた。



7月10日

 いつもどおり6時起床プライベートで高いだけあって朝飯がついてるパンとジャムとコーヒーだけどね 朝早かったせいかキョウコさんとは会うことはできず、お礼が言えなかった 日本でまた今度だな! 今日も歩く 川越えたり 森も通って

麦畑通り抜けたり 町を通り 村人と会ったら「オーラ!」と声をかけ彼らも「オーラ!」と返してくれる いちょう彼らにとって俺は異国人だから 自分から挨拶するようにしてる 旅をさせてもらってる身だしね そんな感じで1人で歩いてたらプエンテラレイナで会ったスペイン人ジェライ、アンヘル、フェルナンドと再会する。 
 彼らは明るい 特にジェライなんか通常で歌ってます 途中で出会ったドイツ人女性や俺に対しお前の国の歌を歌えと言ってくる だから出発前からハマっていたモンキーマジックの「空はまるで」を歌った恥ずかしかった うまい方でもないし けど体のギアが少し上がった感じがした。

 この後も彼らの下手でも上手くもない歌にのせられ 不思議とうれしい気分で歩き続ける  この世の中いろんなタイプの人間がいる中で一番必要なのは、ただひたすらに明るいジェライみたいなヤツだと思う。

 ジェライはハカという西側の町からスタートしたらしい 地図上では歩いてきた距離は俺とあまり変わらない けど歩くのはやい 俺が少し遅れ始めるとジェライは「カモーン ヨシオ」と俺に進む事を促す、 そして彼は俺に「今夜はログローニョでパーティーだ!」と言ってきた「え!ログローニョ?」俺はビビった 何故なら俺はログローニョより手前の町ヴィアナに泊まる予定だったし、午後1時半過ぎてたし、なのにログローニョはここからさらに10キロ先(約2時間)まで行かなければならない その間アルベルゲは無い だから少し考えた だがジェライはただ「カモーン!」と言ってきた この言葉何故だか心強かった だから彼らと一緒に歩くのをもう少し続ける事にした。

 スペインは日が長い、子供が夜まで遊んでる事もあるほど長いのだ、そんな子供もいるだろうログローニョに着いた頃は日の光は昼と比べると弱くなり夕方だった(その夕方がやたらと長い)アルベルゲに到着してスタンプ待ちで並んでいると ここから歩きだす巡礼者も多いためか 僅かに先に並んでいたジェライ達がスタンプを押してもらった時点でなんと満室になってしまった、ついてない。

 ここのアルベルゲは還暦過ぎの人たちがボランティアでやってる感じだ そんなおじさんが俺と前に並んでた人(よく見るとデービッド)をこっちに来いと案内し始めた 来た道を戻り さらに違う方向に500mぐらい歩いたらお爺さんがここだと指さした、 そこはただの体育館だった入口を入るとそこはすでに2階で、1階の床を見降ろすと100個以上のベッドマットがずらっと並んでいた  俺は真ん中のちょっと上あたりを確保した。
 基本的にはここは自転車の巡礼者の為らしく自転車が何台も壁に立てかけられていた シャワー室には仕切りがなく見られ放題!まぁそんなとこでシャワーを浴び、ジェライ達は見つけられなかったので  1人でログローニョの街で貝の酢漬の缶詰とコーラをスーパーで買い バルではオムレツにきざんだキノコらしき物を入れてパンでサンドした物を買って体育館で食べる 寝ながら食べた、少しぜいたくな気がした 笑

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