NO.12 分かれ道




7月29日

 今日も出発! まだ標高が高いせいか外は寒い、日が出始め遠くの地平線が赤くなり始めている あまりに寒いので雨の時しか着ないジャンパーをきた。

 今日もいつもどおり テクテク歩く そしたら不思議な事が起きた、寒い中カミーノを歩いていると 突然暖かい空気の流れに入る、ここは山なのに! これ何現象?  そこだけが暖かい空気の場所が何か所もあった どういう気候条件からなるかはわからないけど 寒い中突然暖かくなると嬉しくなる

 今日はカミーノ初の分かれ道になる(後々またひとつにもどるけど!) 長いが高低差のない 修道院のあるサモスルートと山を登らなきゃいけないが最短ルートでサリアまで行けるルートをトリキャステーラで選ぶ事になる。

 

山の下り道 その下りの振動でバックパックがより肩に食い込む キツイ   バックパックも 捨てて 歩きたくなる

 けど終わりが近いからだろうか、この場にいる事がすごく幸せにも思えてくる

 


こんな景色見れてるんだし。


 乾いた道を下り トリキャステーラについた、唯一の分かれ道にある町 この町を抜けると見事に道は左右に分かれていて、両方ともにカミーノのサインがあった でもそれを目の前にしても俺は 何故だかあまり迷わなかった

 左の道だ

 
 左の道はサモス修道院があり、道に起伏がないルートだと聞いていたので、自然と左に行っていた。

 下り道歩いていると途中メキシコ人学生5人と合流、何やら応援ソングみたいな唄をみんなで歌う 歌いながら木々に囲まれた下り道を歩く、サモスまでの途中にある、 小さな村に着いた 
 家は数軒しかない 俺達はそこの小さな教会でミサに参加する事になった 時間になると、御爺さん御婆さん達が 教会にやってきたしかもたった数人だけ 若者はよそから来た俺達だけだった 

 祈りを終えて 教会外のベンチで近所どうし語らう しかし どこの国も同じ、若者は村を出て、年寄りは昔ながらの農業で生計を立てている 村がさみしくなる一方だ 
 この教会はそんなじいちゃん、ばあちゃんの拠り所なんだろう そんな彼らの思想や宗教をバカにするヤツは絶対に許さない、なぜなら 俺はそんな彼らに助けられ、今までこの道を歩けてきているから。

 宗教流派などの考え方はどうでもいい、彼等がいなければ俺はここにはいなかったはずだ!

 サモスに着いてからもメキシコ人学生たちと行動して、飯を食いそしてアルベルゲについて 真水のシャワーを浴びる、ベッドは必ず2段ベッド そこでヨハンナと再会した、久々に話をすると昨日はヨハンナ、カール、パトリック、レベッカ達は、俺と同じ村の違うアルベルゲに泊っていて、今朝はカーラル、レベッカはどこか知らないけどパトリックは、トリキャステーラで右の上り坂で短いコースの道を選んだそうだ  

 ヨハンナとサモスの教会でのミサに参加した この教会入って正面のマリアではなくサイドにいくつかある像のマリアの表情が 暗く 怖くなるぐらいの 悲しい表情をしていた

 ミサが終わった後、町を一周しながら、分かれ道 トリキャステーラでの右側の道が気になっていた、パトが選んだ高低差の激しい右の道、相対し俺は何か自分が楽な道を選んだ気がした それに右の道もまたカミーノなわけだし、 だから俺は決めた、

 明日トリキャステーラまで10km戻り右の道も見る。



7月30日

 今日は10キロ弱戻るから、5時に起きた さすがにほとんどみんな寝ている、そんななか出発した 
 外は真っ暗だ 明るくなるのは6時すぎぐらいからだし、カミーノももう終盤なのに、これから初のカミーノを逆走する事になる この1カ月弱 歩いた道を振り返り その景色をずっと見渡した事はあったけど、その道を歩み戻り逆走することは一度もなかった  バチあたりかな? 

 でも今度また次ここを歩く時 右を選べばいいや なんて何故か思えなかった。  

 山を下ってきたのだからその逆だから当然、上り坂になる 

 暗い まだ夜だ 出発して5分もたたずして、サモスの村の光は見えなくなり 真っ暗になった 

 道は車道でアスファルトなのだが 街灯はない さらに周りは森が茂っている   

 ピレネーとはまた違う恐怖に包まれた 

 安易だった、

 後悔した 屋外なのに閉鎖的な空間にいるような 戻れる距離だが… 


 もうひとつの道も見てみたい なんてこの完全制覇したいみたいな考え 

 あさはかだったな  

 真っ暗闇の恐怖 誰も住んでいない廃屋 もう1時間歩いてるが、車は1台しか見てない

 やっと中間地点の村に着いても、家の明かりは点いてなく 村入口の街灯だけが付いていた その村入口には、放し飼いの犬たち6匹ぐらいが 俺に向かって吠えてる 吠えてるだけで、飛びかかってはこない テリトリーに入らせないためのおどし  

 さらに小一時間 ようやく明るくなってきた 周りが少しづつ 赤く色づくのが こんなに安心するとは! 

 そしてやっとトリキャステーラの入り口が見えた すると向かい側から、カールとレベッカが歩いてきた「オイ ヨシオ 久々 ところでなんで逆から来た」と尋ねられ理由をのべる 「逆走なんてクレイジーだな」と言われた  彼らはそのまま左のサモスを目指すらしい 道が一つに戻る「サリアでまた会おう」と約束し、俺はサン・シルを経由する右の道へ入った。  

 さすがにサモスの下り道とは違い登り道だ 上を見たら もうすぐそこ10mぐらい上に雲が流れている 

 

 

さらに歩く事1時間 意外と速く下り道になった、 緩やかな下り道だ、そして気が付いた 自分が今 雲の中を歩いている事に  道の真ん中で立ち止まり雲の中 カメラで1枚


 あまり写真には映らなかったけど 今 俺の周りをものすごい数の粒子が風に乗り朝日に照らされ、西から東へ 流れている 雲の中にいるなんて 生まれて初めてだ 雲の粒子を全身で浴びてる 静かで 誰もいない   
 雲が水の粒子で出来ているなんて、学校では習ったが、実際に見た事はなかった、百聞は一見に如かず こっちの方がいいな!  



 この雲の中で精一杯 深呼吸して 流れ過ぎる粒子をこの目で眺める 不謹慎かもしれないが 俺はこの健康的な体でも たらなく 歯痒く 思う時がある、今もその時だ、この重い体を無しにして この粒子と共に流れてゆけないかと… 決して死にたいわけではない(笑) ただそんな流れてゆくような状態になりたいだけ。

 まぁとりあえずイイもの見れて、満たされたよ 体験できる事、それは素晴らしい事だよ。

 しかしながら、今ではインターネットで色々な情報がすぐ手に入る、楽しくてたまらない事、悲しくてしょうがない事、それがすぐに画面が切り替わり大量にでてくる あんなじゃ頭おかしくなるよ すぐに情報が手に入るから、それに対してすぐに答え(反応や感情)を出さなければならないからだ! 
  すぐ手に入り簡易的だから、薄っぺらな答えにしかならない そして感情が一つに安定しない  それは一見その感情を感じた様に思えるけど、本当は興味がなく深くは解ってはいない事だと思う 感性を養う頃の子供には尚更やってほしくないね 五感をフルに使って友達と遊んで楽しいとか大事な犬が死んで悲しいとか ゆっくりその子のペースで感じてほしい。 

 話が教育論にまでなってしまった、 先へ行こう。 まぁとりあえずいい体験できた! その勢いに乗り途中 スペイン人御一行とであったその中でひときわ元気で明るいおじさんに会った、俺にビスケットくれた 片手の指先がない やはりそういう人ほどよりやさしい ありがとおじさん

 道がサモスの道とまたひとつになる所で、カール、レベッカと再会できた、彼らは驚いていた サモスから逆走し、数時間前に山を越え再びサリアで会おうと言ったがこうも簡単に会えるとは、運命か! 彼らにお前はスゲーヤツそしてクレイジーだと言われたよ

 カールとレベッカは俺がアヘスで初めて会った以来いつも一緒だ カミーノは終わりでもあり、始まりとも言われている この道で出会った二人、お互いの間に何かが始まったのかな?!  

 カール、レベッカとサリアで昼食トルティーヤとコーラ、相変わらずレベッカは早口だ バルを出て レベッカはカールとしゃべり過ぎたのか俺にいろいろ聞いてきた 歩く理由 それに対しての家族の反応とか レベッカはカミーノをテレビで見たときに 自分もやりたいと思ったらしく 宗教上の理由ではないらしい いっぽう彼女の家族は「できるわけないじゃない」と軽い感じで言われ悔しいから決断したのもあるんだとさ 

 レベッカは違うが、カミーノを歩く人間は何らかのトラブルを抱えてたりする、病気、家族事、自身の心の問題 少しでも良くなるように想いを込めるんだろうな それぞれ色々あるのに 俺の理由は この道を歩いたら自分の中に何かが起こるような気がする という かくも幸福といえるものだ 

 抽象的になってしまうが、自分が幸福だと踏まえてあえて言わしてもらうよ、俺はもっとより良い状態になりたいんだ、強くなるため 社会から離れ、俺に対する社会の評価が悪くなろうとも、俺に必要なのはこれなんだよ  自分自信で決めた経験なんだよ。必要と思う事を経験し、見たい物を見る。

 今日はカール、レベッカとbarbeloにステイだ、周りは何もなく畑と民家、今日は不思議と腹が減らない、気分も少し悪いのでシャワーを浴びて早めに寝た

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