6時起床 起きて早々気分が悪い 風邪だろうか?! カール達には先に行ってもらい 少しの間ベッドで様子を見た そしたら気分が良くなってきたので コーラを飲み ビスケットを食べ、出発を決意し歩く
歩きだして15分 やはり体の様子がおかしい 体がいやに軽い感じというか 嫌なすっきり感というか そして
吐いた
コーラを全部 おかしい
どうやら昨日の飲食物に 何かあたったらしい 吐いた後から 体がだるくなった アルベルゲに引き返すこともできるが つぎのフレロスまで残り7キロぐらい 30km以上歩いた時と比べれば微々たるもん
歩こう!
あまかった、キツイ体のだるさとあいまって、バックパックがいつもより重たく感じる
ただキツイ… 体の内側から来るダメージ
フレロスに着いて即トイレ、止まらない下痢、間違い無く何かにあたった
それでも服を洗濯し、ベッドで横になってると道の序盤ララソアーニャで会った、日本人 シゲキと再会したほぼ1か月ぶりだ、シゲキもなかなか日本人とは合わなかったらしく「パンプローナで牛追い祭り見てからは、追いかけながらずっと探してたんですよ」と言ってくれた
彼はスパニッシュ系の友達と一緒にアメリカの大学で勉強してる学生だ、シゲキに腹痛の事を言うと「ここに来るまでにアルベルゲの水や村にある共有の水で、食中毒になってる巡礼者いっぱいいましたよ」という話、確かに昨日朝早くサモスから逆走した時に途中の村で水を汲んだ、今まで散々水買わずにそこらのを汲んできたが、水にはあたらなかったのに、ゴール目前にしてこれだよ…
するとシゲキが「この薬あげます」といって薬をくれた感謝した、なんかお礼をしたくなったがシゲキが「気を使わなっていいです」と一言、いいヤツだよ年下なのに! シゲキは他の友達も待たしているらしく「また会いましょう」と言い出発していった ありがとうシゲキ!
さっさと寝よう!
もう慣れた6時起床、でも体の調子は昨日と同じ軽い感じ、体がだるい、初めてかかった食中毒そう簡単に治りそうもない、でも無理しちゃいけないとは分かっていても歩きたくなる 少しでも、だから出発!
曇りだ、余計に滅入るな 食中毒のせいか昨日の夜から殆ど食べてないのに腹が減らない
しばらくするとオーストラリア人のデービッドと出会った教師をしている、話題はくだらなく、互いの国のサマーバケーションの長さなどだった、日本人は働きすぎだからね
9キロ歩き切りポルトマリンに着いた 川沿いにある町だ デービッドと別れ俺は薬局屋に入った、覚えたてのつたないスパニッシュで食中毒であることを説明したら、薬剤師のおばちゃんも外人の俺に困りながらも薬を持ってきて、これをアクア(水)に入れて飲みなさいとのこと、さっそく村中心の広場に行って、飲んでみた… マズイそれにちゃんとした食中毒の薬じゃなさそうだ、まぁこれで水分を取れということか!まぁシゲキから貰った薬もあるしな、まいいか! まだ正午にもなっていないので出発する事にした
やっぱりつらい 足も痛くて食中毒なのに10キロ歩くなんてアホだわ!
サモスの後カミーノを逆走して二つの道、その両方を見ようとした罰だろうか…
それでも歩みは止まらず、無茶をしている俺をカミーノが助けてくれてるのか 無事にゴンサールに着いた、午後1時過ぎ なんだかんだこの体で今日は18km歩いた、アルベルゲが開くまで近くのバルで待ってたら、ジェライも後から来た 何日ぶりだろうか?
とりあえず再会を祝しチョピトーを飲む事に、体調の事を言うと、「この酒はお腹にもいいんだ」といいレオン山脈のフォンセバドン以来久々にこの強い酒を飲んだ、あいかわらず来るねー この酒!
そこへ今日会った教師のデービッドも参戦し、さらにもう一杯、またそこでジェライとデービッドの知り合いのオランダ人女性もさらに加わり3杯目 全部ジェライのおごり 体は最悪 気分は最高!
酔いがまわり オランダ人女性と自己紹介したんだがもう名前が思い出せない フワフワな感じだ まだ2時にもなって無いのにみんな飲んでる 1時間ぐらい飲んでジェライが次の町が今日の目標だということで お開きになり俺も体調悪いしアルベルゲに戻る
やっぱ下痢が止まらない、いつ治るのかな…
今日も2段ベッド、下のベッドで寝そべると上の板に、いろいろ英語で書かれている、歩き始めて間もない巡礼者だろうか、不安や後悔が書かれている、一方で他の巡礼者は残り100kmを切った喜びなども書かれてある、俺も喜びだなもうあと少しなのに、こんな腹痛トラブルになるとかね(笑)
こんな容態でも起床は六時 ぜんぜん腹が減らない食べてないのに! 無理やりビスケットをかじり出発
歩き始めて数十分 今日もキツい、というか今日はいちだんとキツイ、ダルイ こうなると足の痛みよりたち悪い、昨日の酒のせいか!
ホントに今日はヤバいかも! 体の内側がやられると、こうもしんどいとは…
でも不思議とメンタルは不安にならない、カミーノを歩く仲間がいるから、それは「オラー」と挨拶するだけ、歩幅を合わせ一緒に歩くわけではなく、同じ道の上で歩いてるそれだけなんだけどね。
なんとか4km歩きぬき、Hosptal de Cruzでアルベルゲ見つけるも、時間が早すぎて開いていない1km先のVentas de Naronもこれではまだ無理だろう、でも歩くしかない キツイな…
健康でいられた事さえもが幸福だったことにきずく そして日常の生活が、この幸福の元に成り立っていた事も! ちょっと前に知り合いの沖縄のおじちゃん、おばちゃんに言われた
「一番の親孝行は健やかでいること」という言葉!
今凄くしんどいけど、いつかこれを笑って話せる日が来る!
見よ! この瞬間さえも過去になっている! “食中毒” いいネタになるよ!
歩きながら疲れた俺の顔を見たからだろうか英語が出来るスペイン人の男が話しかけてきた、体調が悪い事を伝えると「お腹が悪い時にはお米がいいぞ、特にパエリア!」町に着くと彼はバルでメニューにないパエリヤを作ってくれるようにバルのママさんに頼み、彼は先へと去って行った、ありがとう。
ほどなくしてバルのママが、白いパエリアを持ってきてくれた、 ここ何日か腹が減らないし、食べていないので、おいしい でも少し食べたら、吐きそうになり便所に駆け込んで吐いた、そのあと数回それを繰り返し4割ぐらいしか食えなかった、ごめんねバルのママ でもおいしかったよ、お金を払い出発
少し歩いたら、今では懐かしい、出発2日目に出会っていたオランダ人ボルドと再会! 今ボルドが一緒に歩いているグレッグ(オランダ人)も紹介され一緒に歩き始めた、 そしてなぜか話題は武器のナイフに!ナイフはただ長ければ良いわけではないなど色々、ボルドはマニアだ!
俺が食中毒の話をすると、グレッグが薬を取り出し俺にくれた、グレッグは大学でウイルスを研究している学生だそうだ、 そんな彼が選んで持ってる薬、効かないはずがない "運命を感じる" グレッグ「この薬は効くぞ8時間おきに1錠 これを止まるまで飲み続けろ!」心強い 今まさに俺は助けられているよ グレッグに カミーノに 感謝。
俺は助けられてばかり 良い人間ほどよく人を助け 仏教的に言えば徳を積んでるってやつ? そんな感じがする俺はまだまだだ。
彼らと話してたらすぐに目的地のリゴンデに着いた、 ここのアルベルゲは少し違ってて、アメリカやらギリシャなど他国のカトリックボランティア団体(NST)が夏の期間だけ手助けに来る所 だから英語が飛び交う、スタッフも多い賑やかなアルベルゲだ
そのアルベルゲの向かいの野っぱらには彼らの大きいテントが張ってありそこで劇をしたり、話をしたり、ここのアルベルゲは特別イイ感じです しばしの間ギリシャ人の女の子マリアとボルトとグレッグとで木陰で談笑、なんとボルトは俺と同じで仕事を辞めて歩いているらしい! 仲間だ! でも日本帰ったら職探さないと!
マリアの話だとここのアルベルゲはタダで夕飯がでるらしい 俺はここぞと思い食中毒の事を言い、早めに休ませてくれるように伝え、さらには集中的に回復させるため連泊させてくれるようにも頼んだ,そして彼らは快くOKしてくれました、そしてボルトとグレッグはまだお昼ぐらいだったので、次の町へと出発していった ありがとう。
グレッグの薬を飲みベッドで休む、夕飯の時にマリアが呼びに来てくれた、なんと意外と豪勢だった、マッシュポテトと焼いた肉、オムレツにパン 寄付で賄っているのだろう ありがたい けれどそんなに食べれなかった、グレッグの薬を再び服用し就寝
今何時だろう? 外はスタッフが多いせいか結構騒がしい 今日はこの巡礼初の連泊だ 気にすることはない グレッグの薬を飲み、昼まで横になる
そこへここのアルベルゲの英語がしゃべれるママ(ホスピタレーナ)がやってきて「何か食べるかい?」と様子を見に来てくれた 俺はまだ何も食べれないと告げるとヨーグルトを持ってきてくれた
ありがとう おいしく頂きました。
腹はまだ治まらんな
もしこの食中毒が旅の序盤 精神的にも追い詰められてた時にかかっていたら 俺は続けることができただろうか?
歩いている時は 歩いてる時でいろいろ考えるんだが 体を使わず横になってるだけでも考えはめぐるもんだ
外ではスタッフの子供たちがキャッキャ騒いでる たまに俺のいる2階まで上がってくる 可愛いです
夕方グレッグの薬を飲んでたおかげでとうとう下痢が止まった 長かった でも胃の調子が本調子じゃないせいか 夕飯は食べれなかった(タダなのに!)
明日はイケそうだ!